「立川談志」 と言うと、どんなイメージ?

 


私が立川談志を初めてテレビで見たのは「お笑いサドンデス」という番組だった。



そこに審査員として出演していたから。



正直、「なにこのおじさん?!」と思った。



変なヘアバンドをつけて、ガーガー声で、言いたい放題で。



とにかく強烈な個性。



1回見たら忘れられない、そんな人。



そんな立川談志ですが、実の娘さんによると、根が本当に優しくて「天使みたいな人」だそう。



人は見かけによらないものだ。



詳しいプロフィールは、こちらを参考にどうぞ。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E8%AB%87%E5%BF%97


しくじったヤツ



常に新しいことにチャレンジしようとした立川談志。



昭和44年には衆議院議員選挙に出馬。



前年の参議院議員選で、 青島幸男や 横山ノック、石原慎太郎のタレント候補と呼ばれる人たちが出馬したことに刺激されたのだ。



本人曰く 「それいけ!と、おっちょこちょこちょいがやるから、面白い」と、出馬したがあえなく落選。



しかし諦めきれずに2年後、今度は参議院議員選挙に出馬。

 


そして当選を果たした。



政治家になってからも落語には熱心に取り組んだ。



議員会館で稽古をつけ、自らも寄せに出演 。



昭和50年、沖縄開発政務次官に就任。



沖繩海洋博を視察。




ところが飲み過ぎて二日酔い。



記者たちからの質問の洗礼を受けた。



「 沖縄の失業率が何パーセントか知っていますか?」



「基地の面積は何パーセントか知っていますか?」



「酒と公務とどっちが大切ですか?」



この質問に談志は何と答えたか?


「酒に決まってるだろ!」


これをきっかけに政務次官を辞任。


任期はわずか36日だった。


ところが、この苦い経験が新たな境地をもたらすことに。

 

辞任後、寄せに出演しようと会場に行ったら、呼び込みがこんなことを言っていた。



「さあさあ、よってらっしゃい。みてらっしゃい! 政務次官をしくじった奴がこれから出ますよ!」

 


と、呼び込みが言っているではないか。



この時、芸に開眼したという。



寄席では割れんばかりの拍手で迎えられた。


このとき、立川談志が感じたこと。


良い悪い、 面白い面白くない、などではなくて、その落語家の人間性・パーソナリティ・個性・存在をいかに出すかなんだと。



それが現代における芸だと思った。



それまで落語の世界では、演者の存在は消すべきだった。



だが談志は、個性を前面に打ち出す ことがニーズに合致すると気づいたのだ。



人間のしょうもなさ



また、立川談志は、落語とは「人間の業」を肯定するものと考えた。



業について深く考えるようになった。



人間は弱い存在で、働きたくないし、酒を飲んで寝ていたいし、 そういう弱い人間の業を落語は肯定してくれるんじゃないか。



人間とは悪いこともするし、ずるいこともするんだ。


でもそれを笑いにすることで、救われる。




これは意外と素敵なことだと思う。




実際、落語には勧善懲悪的(かんぜんちょうあくてき)な話はほとんどない。

 


「 人間のしょうもなさ」をそのまんま出しているのが落語の世界。

 


自由奔放に生きてきた立川談志だからこそ気づいた哲学があった。




あの「笑点」も


誰もが知っている、あの長寿番組「笑点」も実は立川談志が企画・立案して始まった。



先日、久々に笑点を見たのだが、 面白すぎる!

 


やっぱり大喜利は最高。



「 インスタ映えってどんなハエ?」



「木久蔵ラーメン食べたら、お腹を壊した」



「女湯を覗いて幸せ」

 


などなど、しょうもなさのオンパレード。

 


大のおじさん達が、 しょうもないことを真剣に競い合っているくだらなさ。

 


最初から最後までずっと笑いっぱなし。



若い時よりも笑点を見て、たくさん笑っている自分がいた。

 


お正月には笑点スペシャルもやるみたいだから楽しみ。




立川談志がたどり着いた「人間の業の面白さ」は、笑点を通して今でも日本人に伝わっていると思う。

 


立川談志は、 75歳で永眠。




戒名は生前自分で決めていた。



立川雲黒斎(うんこくさい)家元勝手居士。



さすが、死ぬまでしょうもなくて面白すぎる人だ。

 

 

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