70数年前、日本には夫を戦争で亡くした「戦争未亡人」がたくさんいた。

 

大ヒット映画「永遠のゼロ」の中でも描かれていたが、 戦後の混乱の中、女一人で、ましてや子供を抱えて生き抜くのは相当大変だったにちがいない。

 

東京高円寺に住む、あるご婦人は、戦争未亡人。

 

彼女の名前を仮にA子さんとしよう。

 

A子さんが三十代前半のとき、二人の息子を残し、夫は戦死した。

 

夫は東京帝国大学を卒業し、航空機の 開発に情熱を注いだエリート技術者( 当時海軍技術大佐)。

 

夫は激務で忙しく、一年のうち1、2回しか太陽の下で妻の顔を見たことがなかったと言う。

 

それでも妻のA子さんは一度も文句や愚痴を言うことなく、夫に付いていった。

 

そして夫は国の命令により、ヨーロッパに留学する。

 

数年が過ぎ、やっと帰国できるかと思っていた矢先、夫に極秘の任務が命じられた。

 

特攻隊員が毎日命を落としている中で、 彼は生きて帰るように命じられた。

 

彼らに託されたのは新兵器の完全な図面を日本に持って帰ってくること。

 

当時同盟を結んでいたドイツのUボート(潜水艦)に、ドイツ兵と一緒に乗り、 出来る限り日本に近いところまで行かなければならない。

 

当時戦況は相当悪化していて、連合軍の攻撃が絶え間なく続いていたため、昼間は見つからないように海中を潜水。

 

夜だけ海上に出て進むという日々だった。

 

途中潜水艦が故障し、修理のため、クリスチャンサンドというノルウェーの港に立ち寄り、そこで2週間ほど足止めされた。

 

この2週間が、 その後の運命を変えてしまうこととなる。

 

その後も潜水艦での航海は続き、途中で衝撃の事実が伝えられる。

 

それは、ドイツの降伏。

 

ドイツが降伏したことにより、 盟友であったドイツ軍兵士と日本人兵士との立場は微妙なものに。

 

そしてその時点では、まだ日本は降伏していなかったため、 日本人兵士は船を乗っ取ってでも任務を遂行するのではないかと疑われたのだ。

 

ドイツ兵にとって日本兵は危険人物 としてマークすべき存在へと急変した。

 

ましてその日本兵は優秀な技術者で、潜水艦の構造を知り尽くしている。

 

潜水艦を破壊することだって出来るのだ。

 

潜水艦はいまだ海の中を進んでいたため、 ドイツ軍兵士がピストルを持って、日本人兵士を監視するという事態が潜水艦の中では起こっていた。

 

数日後、潜水艦はアメリカに到着。

 

ドイツ軍兵士は全員降伏した。

 

アメリカ軍は日本人兵士に捕虜になるよう勧めたが、日本人兵士はそれを拒否した。

 

死んで虜囚の辱めを受けず。

 

捕虜になれば、 日本にいる自分たちの家族が辱めを受けることになってしまう。

 

どんなことがあっても捕虜になるわけにはいかなかったのだ。

 

次の日、日本兵は服毒自殺をした。

 

遺書を残して。

 

彼はどんな気持ちで遺書を書いたのだろうか。

 

奥さんには、びんせん3枚の遺書を残した。

 

ふたりの息子には、びんせん5枚の遺書をそれぞれ残した。

 

その遺書はアメリカ軍を通じて、無事奥さんの元に届けられた。

 

戦後、 A子さんは洋裁の仕事をしながら女手一つで二人の息子さんを大学まで進学させ、立派に育て上げた。

 

A子さんは戦後25年経って、子供も無事育ち、次のように語っている。

 

一生かかっても言えないようなことを 夫はあの遺書に書いてくれました。

 

「自分が死ぬということを目前にし、覚悟してこれだけの文章を書いた」という気持ちを考えると、どんなに苦しかったかと思いました。

 

私はこの遺書を見た時に、私と主人の結婚生活は6年半ぐらいのものでしたけれども、一生かかっても言えないような夫婦のあり方を主人からびっしりと心の中に叩き込まれたような気がしたんです。

 

だから、主人が死を目前にして遺書を書いたときの気持ちが、どんなに苦しかったことかと。

 

私は主人に戦死されて、 一人で二人の子を育てなければならず、苦労もしましたけれど、主人がこの遺書を書いた時の苦しみに比べれば、自分の苦しみは取るに足らないものだと。

 

そういう気持ちで、何かあるたびに、「主人はもっと苦労したんだ」と言い聞かせて、これが生きる力になってきたんだと思います。

 

同じ潜水艦に乗っていた、日本兵がもう一人いる。

 

その日本兵も同じように服毒自殺の道を選んだ。

 

そして、彼にも奥さんと二人の幼い娘がいた。

 

戦争未亡人となってしまった彼の奥さんは戦後、役場で働き、二人の娘を育て上げた。

 

その奥さんは言う。

 

「夫ほどかっこいい男は絶対にいない」

 

そう言い切った彼女の瞳は、まるで十代の少女のようだった。

 

参照:NHK・Uボートの遺書

※ 文章中の細かいデータや描写に多少の食い違いがあるかもしれません。その点はご了承ください。

 

 

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